イベント,  ハワイの暮らし,  ハワイ島,  ハワイ文化

メリー・モナーク・フェスティバル

4月はフラ界のオリンピックといわれる「メリー・モナーク・フェスティバル」がハワイ島のヒロで開催されます。ハワイ最大規模の歴史が最も古い祭典として知られている「メリー・モナーク・フェスティバル」。一体どんな祭典なのでしょうか。

メリー・モナーク・フェスティバルとは?

ハワイ初のフラ競技会で最大の文化イベント。毎年イースター(復活祭)の直後の4月に行われる最大のフラ競技会「メリー・モナーク・フェスティバル」は、選び抜かれたハラウ・フラ(フラスクール)が、年に1度ハワイ島のヒロ(Hilo) に集結し、3夜に渡って競技が行われています。この競技会では、息を呑むような見事なフラが次々と踊られます。ハワイでTV中継されるほか、インターネットを通じて全世界に放映され、最高のフラをハワイの誇りとともに発信する重要なイベントです。選出されるのはごくわずかであるため、ハワイのフラダンサーにとって憧れの舞台でもあり、なかでも賞を獲得するフラは、ハワイのフラ界が世界に向けて発信する「これが正統なフラだ、本物のフラだ」というメッセージともなるとても栄誉ある賞となります。まさにフラ界のオリンピックとも称される最大の祭典です。

メリー・モナーク・フェスティバルの歴史

1964年にスタートしたこのフェスティバルは、当初ハワイ島の島起こしが目的でした。1960年にハワイ島のヒロで津波が起こり、砂糖きび農業も打撃を受けてしまい、町は壊滅状態になってしまいました。3年後、規模は半分以下となってしまいましたが町はなんとか復活、でも経済はままなりません。そこで計画されたのが、町を復興しもっと多くのハワイの人々にヒロに来てもらい、観光を誘致するためのイベントとして創設されました。そして1964年、第1回メリー・モナーク・フェスティバルが開催されました。
当初はカラカウア王の髭そっくりさんコンテストやリレー走、カラカウア王の戴冠式舞踏会を模した夜会など、お祭り的で素朴なイベントとして知られていましたが、よりヒロの町や経済をより復興させるために、ヒロ出身の名だたるクムフラ(フラの師)たちの助言を得て、1971年以降から、ハワイ伝統の芸術であるフラを中心に捉える文化イベントとして再スタートしたことをきっかけに現在のメリー・モナーク・フェスティバルとなりました。
第1回の競技には9グループが出場。ハワイ文化の象徴としてフラが見直され、ハワイ文化復興運動が活発になった時代の機運もあって、フラ競技は年々拡大。20以上の男女フラ・グループが出場して4000席以上の客席を埋める、3日間に渡る競技として定着し、世界中からハワイ文化を愛する人が集まるフェスティバルとして現在に至ります。

メリー・モナークの名前の由来

フェスティバルの名前「メリー・モナーク」は英語でMerrie Monarch、つまり「陽気な王様」という意味です。ハワイ王国時代、19世紀にカラカウアという王様がいました。キリスト宣教師によってフラは野蛮なものとして迫害され50年以上禁止されていて消滅の危機に瀕していましたが、カラカウア王は国王の力を最大限に利用して伝統フラを復活させました。新たに西洋音楽を導入した新しいフラの流れを奨励し、フラの消滅の危機を救ったのです。カラカウア王は、芸術を愛し、即位式にハワイ伝統の儀式を行い、誕生日の祝宴でもフラを踊らせるなど、フラやハワイ語、信仰や神話の大切さ、フラの文化だけでなくハワイアンであることの誇りを人々の心に蘇らせました。カラカウア王は、今もハワイアン・フラダンサーのシンボル的存在であり、ハワイの人々に愛され続けています。音楽と踊りをこよなく愛したカラカウア王の意志を引き継ぐことを目的として、彼のニックネーム「メリー・モナーク」がフェスティバル名となったそうです。

この時期、フェスティバルの前後一週間は、ヒロの町がフラ一色になります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です